大きな木。
巨木。
300年、400年、1000年。
とても自分には考えの及ばない時間を生きている。
そんなに長く生きれるってどんな感じなんだろう。
楽しいことなのか。寂しいことなのか。
簡単にうらやましいなぁーなんて木に言おうものなら、いいことばかりじゃないよと言われそう。
生まれてからいままでに周りでいろんなことが起こり、それらを見てきた。傍観。
何を考えどう感じていたのか。
もし、しゃべれるのであれば聞きたいことがたくさんある。
そもそも巨木を見に回ることになったのは、革の恩人が亡くなってしまったため。
なにをしてもあんまり革仕事が手につかず、あんまり進まないのだからどこかへ行こうと考えた。
都会でなく、自然に近い場所。人と自然の境。
生きる事と亡くなることが逆の存在でなく、連綿と重なり合っている場所。
縁もあり巨木を見に行こうと決めた。
身体の大きさが大きいものと小さいものでは生きている時間が違うという。
小さいなものは一日24時間がもっと短く感じるらしい。一日のサイクルが3時間のネズミがいる。
こんなに大きいのだから、木にとっての一日はとても長いのだろう。
ふと思いついて、少し耳を澄ましてみる。
木の時間はきっと長すぎるから、ただ語尾が長すぎて認識できてないんじゃないかなって、ふと思ったから。よく聞いたら「ハロー!!」くらい言っているかもしれないなーなんて。
朝起きて仕事に出て、お昼食ってまた仕事して、夕飯食ってお家でゆっくり。そんなルーティーンを持っていない木たち。
同じ場所から見続ける景色。晴れの日もあり雨の日も繰り返す日常。地から滋養を吸い続け、先へ先へと少しでも太く長く成長を続けるのが役目。
現代の生き急いでいる人たちと懐深く生きている木。
比べられるものではないけど、まったく思想が違い過ぎて逆に安心する自分がいる。
日本は巨木が多く残っていない。
それは木造建築を主とした日本の建築が、樹齢が長い木を使うと同じ年月の雨風に耐えられる強い家を建てる事ができるという思想があったから。
神社仏閣以外にはほとんど残っていない。残念だけどしょうがない。
会いに行ける巨木があるだけでありがたい。
長く生きた木は神に近く、これからも生き続ける。
巨木を中心に人が集まり村や町ができた。
木々に寄り添う生活をしてきた人々。家族を中心とした集落の安泰を祈り、なにか災いがあればそれを納めるために願をかけた。
きっと巨木は集まるすべてを受け止める力を持っていたんだろう。
集まるすべてを受け止めてきたから大きくなったとも言えそう。
今回の旅で5本の巨木を巡った。
たくさん考えたから、考えるのは少しお休みして作業をしなくては。
今できる事がたくさんあるうちに。
その方が革の恩人も喜びそうだ。
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